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コラム2 歴史と性別

昔、NHKの大河ドラマは『風林火山』をやっていました。しかし、正直、上杉謙信をGacktがやる、と知ったときの衝撃は計り知れませんでした。 いや、たしかに、謙信のイメージといえば豪傑だったり優男だったり、といろいろありますが…。

さて、本題ですが、皆さんは「上杉謙信は女性だ」という説があるのをご存知ですか??詳しくは八切止夫氏の著作を見てもらいたいですが、インターネットで「上杉謙信女性説」と検索しても多くひっかかります。彼の著作はほぼ小説の範疇を出ない、珍説として歴史学からは無視をされてはいますが、 なかなか興味深い指摘が多く論拠として提示されていて、「女性なんじゃないの?」と信じてしまいたくなる所がおもしろいです。もちろん、男性である論拠もたくさんありますが… 皆さんはどう考えるでしょうか??

性別といえば、女性史研究家で古代を専門に扱う義江明子氏は、著書『つくられた卑弥呼─“女”の創出と国家』(筑摩書房、2005年)の中で、風土記に出てくる隼人の首長の例をあげ、男性と今まで考えられていた者の中から女性ともとれる者を挙げ、考察し、名前の最後の文字などで性別を安易に決定することへの反論を行っています。(ちなみにこの著書の本筋は、卑弥呼は夫がいて軍事や政治の統率なども行っていた、という説です…私見は挟まないことにします…)

こういった歴史上の「性別」の実情を探るのは、史料を読み解いて解明する、という立場を取る歴史学では難しいです。史料にはその著者の意思や思い込みが反映している可能性もあるからです。上杉謙信の例を取ると、「女人禁制の高野山に2度入っている」という男性論の論拠があります。しかし、これは後の世の上杉の者が「城主は代々男性が継いでいたのでなければ、家の存続が難しい」と考え、架空の事実をでっち上げた結果かもしれません。逆の論拠でも同じことがいえます。また隼人の例を見れば、そこにはどうしても名前という、ある記号に対する「先入観」が働いてしまうことが見えてきます。

現代でも「しんいち」というと、おふくろさん・・・は関係ないとして、男性だと思うでしょうし、「モナ」というと女性だと思います。でも、「つばさ」とかは男女ともに通用しますよね。漢字だともっと分かりづらくて、「重光葵」などは知識がなければ女性としか思えません。名前の羅列を見ただけで人の性別を判断することは現代でも危険です、とんでもない失敗を犯す可能性もあります。文字史料などで判断しなければならない過去のことなどなおさらです。

このように、私たちが思っているほど、歴史上の人物の性別を決定するのは簡単ではありません。「男」と「女」の二択であるのに関わらず、です。「男性」と「女性」を単なる対立構造であると考え、その性差に意味はないのであれば、話は違ってきたのかも知れませんが、現実にはそうでないわけで、決定には細心の注意が必要になります。だからこそ、たくさんの、そして多様な史料を探して論拠とすることが大事なのだと思います。

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