WEB SHIG@KUSHA
No History, No Life.
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コラム1 オーロラ
少々唐突ですが、皆さんは「オーロラ」を見たことがあるでしょうか? 大抵の方は"No."とお答えになることでしょう。日本列島がいかに南北に伸びているとはいえ、通常の可視地区である高緯度地域とは重なり合いませんから、鮮やかなオーロラを日本で見る機会はなさそうです。ただ、太陽活動が活発化して、多量の高エネルギー粒子(ミノフスキー粒子ではない。あしからず)が飛来して磁気嵐が起きると、日本でもオーロラを見るチャンスがあるとのこと。
ここに一枚の切り抜きがあります(『讀賣新聞』2003年11月8日付14面4版)。当時大変印象に残った記事だったので、とっておいたものです。ここには、『明月記』に見られる天文現象の記載が、大規模なオーロラだったことが確認できたとあります。
記事によると、日本では空の高いところで赤い光が見えるだけなので、史料でも大火事などを誤認している可能性があり、本当にオーロラ(「赤気(せつき)」)であったかまでは定かでなかったそうです。ところが、研究者のグループ(新潟県立巻高校・中沢教諭、富山県立大学工学部・岡田教授)は、オーロラ観測例からいくつかの特徴やパターンを割り出し、この特徴が『明月記』の記載と見事に合致したといいます。
「白光赤光相交(あいまじわう)、奇而尚可奇(きにしてなおきとすべし)、可恐々々(おそるべしおそるべし)、…」(『明月記』元久元年正月十九日)
『明月記』は大歌人・藤原定家の自筆日記、元久元年はすなわち1204年です。赤い光と白い光が交錯しているという記述が、まさに中緯度における大規模オーロラの証なのです。この年、伊勢では平家の残党が蜂起する一方(三日平氏の乱)、源頼家が修善寺で暗殺されています。定家はそうした変事の度、正月十九日の空を思い返したのかもしれません。八百年前のオーロラと、それを見上げる定家。歴史のロマンは尽きることがありません。